東日本大震災から10年目の仙台で、
全身を縛られたまま“餓死”させられるという不可解な連続殺人事件が発生。
捜査線上に浮かび上がったのは、過去に起こした事件で服役し、
出所したばかりの利根(佐藤健)という男。
刑事の笘篠(阿部寛)は利根を追い詰めていくが、
決定的な証拠がつかめないまま、第三の事件が起きようとしていた。
なぜ、このような無残な殺し方をしたのか?
利根の過去に何があったのか?
さまざまな想いが交錯する中、
やがて事件の裏に隠された、切なくも衝撃の真実が明らかになっていく―
YouTube松竹チャンネル
映画『護られなかった者たちへ』本予告
仙台市では新規の映画作品のうち、仙台を舞台としてロケーション撮影を実施し制作されるなど、特に仙台市の観光振興およびシティセールスに資すると認められる作品を「仙台シネマ」として認定しています。
「護られなかった者たちへ」は第8回仙台シネマに認定されました。
©2021映画「護られなかった者たちへ」製作委員会
「護られなかった者たちへ」 Blu-ray&DVD
映画「護られなかった者たちへ」は原作の舞台と同様に宮城県内で2020年6月~7月にかけて撮影が行われました。東日本大震災から10年目の仙台で発生する不可解な連続殺人事件。事件の真相を辿るロケ地巡りとともに、震災の教訓、復興の現在地をぜひご自身の目で見て感じていただけたらと思います。
実はこんなシーンもあったんです!
本編には登場しない
幻のロケ地
映画の本編には登場しないものの撮影協力をいただいたロケ地を紹介!!
東日本大震災から10年。国内外の皆様からの多大なる応援と支援により、宮城は復興に向けて一歩ずつ歩みを進めてきました。
震災で亡くなられた方々への追悼と、震災の記憶と教訓を永く後世に伝え継ぐために、宮城県内では多くの伝承施設や復興モニュメント、震災遺構の整備が進められています。
震災を真正面から描いた映画「護られなかった者たちへ」をきっかけに、震災の教訓を未来へどうつなげていくか考えてみませんか。
宮城の復興の歩みはこちら:
みやぎ復興のたび
https://www.pref.miyagi.jp/site/fukkounotabi/index.html
ロケ地マップの内容はこちら(PDF:3.8MB)
「護られなかった者たちへ」
ロケ地マップ 誤植のお詫びと訂正のお知らせ
※みやぎ復興情報ポータルサイト(https://www.fukkomiyagi.jp/)は令和4年3月31日をもって公開終了となりました。
震災からの復興の歩みはウェブサイト「みやぎ復興のたび」(https://www.pref.miyagi.jp/site/fukkounotabi/index.html)をご覧ください。
映画「護られなかった者たちへ」のロケを支えた地域の皆さんに、
ロケにまつわるエピソード、作品へのメッセージをお寄せいただきました。
当ホテルは主に演者の皆さんの宿泊場所として協力させていただきました。
撮影期間中は朝が早く、またお戻りになられるのは深夜だった日もあり、
限られた時間の中での撮影ということで陰ながらエールを送っていました。
そのような中でも、皆さんが「いってきます!」「ただいま!」など気持ちよく挨拶もしてくださり、滞在中はわたしたちも気持ちよく受入れさせていただきました。また気仙沼でロケのお話があれば、携わらせていただきたいなと思います。
今回は本当にありがとうございました。気仙沼から、大ヒット祈願!応援しています!
看護師として参加させて頂く事になり心配事は、7月の暑さとコロナのダブル対策でした。体調不良になった際、コロナなのかその違いが現場では直ぐ知るすべがないことでした。しかし昨年は肌寒い日も多くほぼコロナ対策を優先出来ました。ロケ中体調を崩す方もなく、ホッとしました。
撮影シーンによっては、換気や消毒など声がけすることの(タイミングも含め)難しさもありましたが、それでも全体的にロケを無事終えられたのは一人ひとりの意識も高かったということだと思いました。このコロナ禍が続いている状況においても、この映画が多くの方々にみて頂けることを願っています。今回はとても貴重な経験でした。お世話になりました。
弊社は気仙沼市太田地区と本吉町馬籠地区でのセット設営に携わらせていただきました。
太田での撮影が押した際には、朝まで撮影が長引いた日もあり、
1つの作品が出来るまでの大変さを考えさせられる出来事でした。
震災から10年、セットの設営は震災当時を思い出させる内容で心苦しくもありましたが、10
年前の再現により、現在までの復興も同時に感じることができました。
今回、映画作品に携わるという貴重な経験をさせていただき光栄です。スタッフ様、キャストの皆様の益々のご発展をお祈り申し上げます。
食事の場面で当店のうどんを提供させて頂きました。ロケを近くで見たことが無く、どのようにして良いのか分からないながら、せっかくなのでうどんを美味しく食べて頂きたい想いで用意させて頂きました。実際、相当な量を食べて頂いたので佐藤健さんと「うどんを嫌いにならないでね」等の会話で「大丈夫です」と言って頂いて嬉しく思いました。こちらの作品に携わらせて頂きとても感謝しています。沢山の方々が携わって1つの作品が出来上がる事に感動しました。映画をとても楽しみにしています。これからも応援しています。
瀬々 敬久 監督
1960年大分県出身。89年『課外授業 暴行』で監督デビュー。以降、劇場映画から、ドキュメンタリー、テレビなど様々な作品を発表。近作に『8年越しの花嫁 奇跡の実話』(17)、『友罪』(18)、『糸』(20)、『明日の食卓』(21)、『とんび』(22)など。
準備期間に何度も訪れましたが、確かに仙台市周辺では普通の生活が営まれていました。ですが石巻市や気仙沼市を伺った時には、正直復興はまだまだな感じを受けました。工事中の風景、若い人が少なくなったという現地の方たちの言葉。テレビや報道で見たり聞いたりしていたことは隔たりがありました。最も印象的だったのは20年3月11日に石巻市でロケハンしていた折、ちょうどサイレンが鳴り、巨大な防潮堤に人々が集まり手を合わせる光景に出くわした時でした。ここに生きる方たちの思いに答えられる映画にしたい、気持ちを新たにしました。
僕は震災の年の7月に湊小学校の避難所に伺ったのですが、その時の印象がやはり強く残っています。避難所という場所でも、出会いがあり、別れがあり、悲しいことばかりでもなく、笑いあったりすることもあること、そこに人間の生活があること。けいさんとカンちゃん、利根が避難所で出会うという映画オリジナルの設定はその経験から来ています。港町である石巻には床屋さんが多いこと、それもけいさんの職業に繋がってます。現地で教えて貰ったことが本当に多くあります。
初めてのこと、経験したこともない事態の中での仕事は大変でした。ただ、最初の緊急事態宣言明けにも関わらず、ロケを許諾していただいた宮城県内の各地の方々には本当に感謝しています。皆さんのご協力がなければ映画は出来ませんでした。苦労の気持ちより感謝の気持ちの方か大きいです。本当にありがとうございました。
JR貨物 仙台貨物ターミナル駅に架かる長い歩道橋を使った追跡シーンが印象に残っています。スケジュール的にどうしても雨の中で撮影しなければなりませんでした。ですが、それが却って迫力を生んでくれたと思います。仙台市科学館を病院に見立てて撮影したのも、コロナで病院が使用できなかった苦肉の策でしたが、面白い効果を生んでくれたと思っています。
実際に震災を経験された現地の方が生きている空間の中で震災にまつわる映画を撮るということを受諾してくれた宮城の方たちの思いに感謝いたします。あれから10年、今はコロナという新たな窮地に立たされていますが、この危機も乗り越えられるよう、映画が未来への希望の一助になることが出来たらと僭越ながら思っています。本当にありがとうございました。
瀬々監督、ありがとうございました。